当事者の声

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2020.06.15

「希少・難治性疾患」領域のマルチステークホルダーをフラットにつなぐ

西村 由希子
特定非営利活動法人 ASrid (アスリッド) 理事長

現在の活動を始めたきっかけ

大学の研究成果を社会実装するために
私は、東京大学の博士課程で無機・分析化学の研究をしていたのですが、周りには深く狭く掘り下げるタイプの研究者が多かったのですね。外部とのやりとりが少なく、コミュニケーションが不足しているが故に、素晴らしい研究成果が世に出ない。そんな状況を目の当たりにし、ならば技術移転や知識移転の研究をしようと思っていた矢先、知的財産人材育成プログラムを実施していた東京大学の先端科学技術研究センターから声が掛かり、知的財産のラボに移ることにしました。

アカデミックリサーチャーとして研究しつつ、成果を実務に結び付ける社会実装のチャレンジも重要と考え、2004年に研究室教授らとともにPRIP TokyoというNPOを設立。同時期に文部科学省の技術移転推進室 技術参与に非常勤職として就任し、4年間にわたって政策の在り方を学ばせていただきました。

オーファンドラッグ(希少疾病用医薬品)に焦点を絞り、International Conference on Rare Diseases and the Orphan Drugs (ICORD)に参加
2004年の薬事法改正で承認制度が変わり、医薬品の製造販売業と製造業の分離が可能となりました。製薬企業が自前の生産ラインを持たなくても製造機能をアウトソースできるようになったわけです。自社工場を持たず、製造過程を外部に委託するファブレス化が製薬業界で進み、より細やかなニーズに対応しやすくなると考えた時、オーファンドラッグが頭に浮かんだのです。

言うまでもなく、オーファンドラッグは「宝箱」ではありません。むしろハイリスク・ローリターンのオーファンドラッグ研究開発を推進するためには、どういう協調が必要なのか。どんな課題があるのか。私たちは研究を始めました。

そして2005年、PRIP Tokyoの柱であった知財(IP: Intellectual Property)、IT、法律(Law)に続く希少疾患・オーファンドラッグの柱を立てようと、科学者・研究者のネットワークを作っていきました。2007年に勉強会を実施し、翌2008年にワシントンD.C.で開催されたICORDに参加することができました。

全てのステークホルダーが対等に議論する姿に衝撃
当時、希少疾患領域における世界唯一の国際会議だったICORDに参加し、私はものすごい衝撃を受けました。企業、行政、患者、研究者、ファンディングエージェンシー*1(資金供与機関)といったあらゆるステークホルダーがフラットな立場で、それぞれ意見を論理的に述べ、議論がなされていたためです。例えば、患者だから下という雰囲気はなく、医師と企業のいびつな関係も感じられません。ただ、希少疾患の領域全体をグローバルな視点で向上させようという目的のために、それぞれが論理的に意見を述べ合っていました。

私は日本の大学で、狭いテーマを深く掘り下げた研究をたくさん見てきました。その「宝の山」を適切に繋げられれば、「餅は餅屋」のようなプラットフォームを構築できるかもしれない。さらに疾患に留まらず、介護や社会生活に広がりを持つためには、潤滑油のような役割が必要になる。そう考えましたが、その時点で私は、希少疾患という領域の患者やご家族と会ったこともありませんでした。

そこで帰国直後に患者の協議会に連絡し、「今後の難病対策」に関する勉強会に参加。患者の皆さんからは「黒船が来た」と言われたものです。医療者でもない、行政でもない、見知らぬ肩書だったためでしょうね。患者会活動をしている方々と交流するなかで、心から尊敬できる多くの患者さんやご家族に出会えました。

ICORDを東京に招致
2008年の冬からは、年に1回、完全招待型の限定50名のワークショップを開始。2010年からは、世界希少・難治性疾患の日(Rare Disease Day)の取り組みを始めました。そして2012年、かつて衝撃を受けたICORDをアジアで初めて東京に招致し、オーファンドラッグに関して、アメリカ食品医薬品局(FDA: Food and Drug Administration)、欧州医薬品庁(EMA: European Medicines Agency)、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA: Pharmaceuticals and Medical Devices Agency)の三極が対面する会議が実現しました。そこでの議論がきっかけとなり、2014年にRare Disease Internationalが発足。現在、WHOや国連のカウンターパートとして活動しています。

大学を離れASridを設立
当時、私はそのままアカデミックリサーチャーとして大学に居続けるべきかどうか、悩んでいました。すると社会科学領域で研究していた頃、ベンチャー支援の仕組みの1つとして、ファンディングエージェンシーや技術移転機関(TLO: Technology Licensing Organization)のような中間機関があったことを思い出しました。その概念を希少疾患の領域に持ち込むことで、既存の患者会活動を侵害することなく、新たな機会を提供する潤滑油のような機能を果たせるのではないかと考えたのです。

そこで、PRIP TokyoのITチームとオーファンドラッグチームの全員が独立する形で、2014年にASridを設立。希少・難治性疾患に特化したサービスの提供を始めました。その頃、米国在住だった私は2015年に帰国し、2016年からASrid専従で活動しています。

 

これまでの活動におけるGood Practice

 「餅は餅屋」
私たちの活動によって「餅は餅屋」という理解が広がれば、成功だと思っています。例えば、患者の声を聞くのが一番だと分かっていても、個人情報や規制の壁に阻まれ、なかなか聞けないのが企業です。そこで私たちが中間機関として協力することで、当事者のレポートが企業に届くようになります。
具体的な事例として、進行性の筋疾患領域の当事者がどのような配慮を介助者に望んでいるかをリサーチし、まとめた研究成果を患者会と協業してチラシを作成し、会員に利活用いただけるよう発送しました。全国の事業所にも今後配布予定です。また現在、国立成育医療研究センターの医療型短期入所施設「もみじの家」の依頼を受け、医療的ケア児に必要な学びや遊びの重要性に関する政策提言に向けた基礎資料として、複数の施設利用者ならびに関係者に対する調査研究を実施しています。

 

良いリーダーの資質とは?

私たちは主役ではない
組織の規模にもよりますが、アドボカシーの領域では、リーダーがビジョナリー過ぎては上手くいかないように思います。ビジネスならば、「自分にはこういうビジョンがあるから、皆ついて来い」という形もいいのかもしれませんが、アドボカシーの場合、主役は私たちではありません。不確定要素が多いため、「自分の思い描く社会に自分が変えていく」というリーダーでは、どこかにひずみを生じてしまうことでしょう。「自分がなってほしい世界」ではなく、「その人たちがなってほしい世界」に変わっていくために、アドボカシーはある。そういう「ちょっと冷めた目」が必要だと感じています。

今後の活動

1人の価値を最大化する
近年、希少・難治性疾患に関する理解が進み、いろいろな取り組みが成長曲線に乗りつつあります。ただし、このまま順調に進んでいくかどうかは、ステークホルダー次第といえます。技術革新が進んだからといって、必ずしも進展するとは限りません。
例えば、ビッグデータの活用が進んだとしても、n数の少ない希少疾患にビッグデータは存在しません。そこで、ビッグデータを扱う研究者の関心領域と希少・難治性疾患のリアリティをいかに結び付けるかを考えることが重要です。
今後も、活動の内容は変わらないと思いますが、問い合わせの数や種類は爆発的に増加しており、個々の規模も大きくなってきています。ですから、調子に乗らないようにしようと、コアメンバーと話しているところです。
組織を大きくすることは考えていません。つくったからには、継続していく覚悟が必要です。日本ではチャレンジングといえるアドボカシーの領域で、いかにサステナブルに運営していくか。まずは、各ステークホルダーありきの活動という立ち位置を自覚し、コアメンバーのスキルを最大限に生かしながら、質の高いアウトプットを丁寧に示していきたいと思います。


*1 公募により優れた研究開発課題を選定し、研究資金配分、運営管理、企画立案する機関

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